象は鼻が長い?

「象は鼻が長い」には何故主語が2つあるのか? 「象の鼻は長い」とどう違うのか? amteurlinguist が考える日本語の構文

6. 動詞ではなく「ツナギ」

さて今まで、助詞だの名詞だの、形容詞だの冠詞だの、更には動詞だの副詞だのって書いて来ましたが、これは品詞と呼ばれるものですよね?

この品詞は、文の部品としての単語が、どういう性格を持っているか、そして文の中でどういう機能、役割を果たしているかを表すものです。

文を作るに当たって、私たちは無意識のうちに一定のルールに従って作っており、それが大きく言えば文法と呼ばれるもので、その中に「構文分析」と呼ばれる分野がある。

このブログで今までに唯一「構文」の説明をしたのが、「○○は~~」という文。(『1.スペイン語の助詞?』参照)

この「○○は~~」という文型、スペイン語文法では「名詞的述語文」なんていう言い方をします。どういう事かというと、名詞的な述語(predicado nominal)を持つ文という事。

つまりスペイン語では、述語には、「名詞的述語」と名詞的でない述語=「動詞的述語」がある、というのです。
具体的には、スペイン語では、"ser" や "estar" で代表されるちょっと特殊な動詞を使った文と、そうでない普通の動詞を使った文を区別しているという事で、ser や estar は構文(シンタックス)において、動詞(verbo)ではなく、ツナギcópula)と呼ばれる。

これは英語の文法(&構文)には多分出て来ない考え方?(…英語の文法を勉強したのは、かなり昔なので、その後新しい考え方が出てきてるのか分かりませんが…)
英語では確か、"I am a boy." というような文があった時、"I" が主語(S)、be動詞の "am" が述語動詞(V)、そして "a boy" が補語?
というような言い方をしたと思うのですが、
でもスペイン語で同じ意味を表す "Yo soy un muchacho." という文では、"Yo"(私) が主語(S)までは同じだけど、英語の Be 動詞にあたる ser の活用形 "soy" は動詞(V)ではなく「ツナギ」(cópula)と呼ばれ(※)、そして "un muchacho" (少年)は動詞の補語ではなく、主語の属性を表すもの="atributo" と呼ばれるのです。

実はこれ、すごく合理的で、日本語のネイティブに理解し易い考え方の筈。
何故なら、「です」とか「だ」とか、英語の be動詞の訳とされてるものは、本来の日本語では動詞ではなく助動詞で、英語の be動詞を訳す為にできた…というか、英語の普及と共に「動詞として」広まったんじゃないか?と思えるからです。

(『1. スペイン語の助詞?』で書いたように、本来の日本語 –という言い方でいいのかどうかわかりませんが– では、例えば「私は嬉しい」とか「子供は宝」のように、「です」や「だ」を付けなくても文として成り立つものがあり、これは『は』という助詞に上の「つなぎ」の意味があるからではないかと思う。)

そして、スペイン語の be動詞は "ser" だけではなく、上に書いたように "estar" も be動詞なのですが…

…更に、名詞的述語文を作る事のできる、つまり「ツナギ」の役割を果たす事のできる動詞は、このふたつの be 動詞だけではなく、
例えば "parecer"(~のように見える)、"resultar"(~という結果になる)など幾つかの動詞は、主語とその属性を表すものの間の「ツナギ」として使われる場合があるのです。

シンタックススペイン語では Sintaxis(シンタクシス)と言います。

※尚、「ツナギ」というのは「知らない事を知ってる事」で作った用語(?)で、「連結詞」「連結動詞」などと書いてある参考書もあるので、念のため。