象は鼻が長い?

「象は鼻が長い」には何故主語が2つあるのか? 「象の鼻は長い」とどう違うのか? amteurlinguist が考える日本語の構文

8. ¿Cuál es tu nombre? 「あなたの名前はドレ?」

あなたの名前は「どれ」ですか?…って…
スペイン語では名前を聞く時に "cuál" (どれ)という疑問詞を使うのですが、何故「何」ではなくて「どれ」を使うのか? って思ったこと、ないですか? そういえばスペイン語を習い始めた頃に聞いていた会話のテープに、このフレーズが入っていて、理由が分からないままにそういうもん…と思ってしまったけど…

これは恐らく、スペイン語の名前のつけ方と日本語の名前のつけ方が違ってるからです。
日本ではまあ、名前に使っていい漢字、とかの制限はあるものの、基本的に親のつけたいと思う名前を自由につけることができる。仮名を使えばなんの制限もない。子供に悪魔という名前をつけて話題になった人がいたけど、そこまで極端でなくても、たとえばアラレとか、給仕とか、ひよことか、もぐりとか、ナンダ(カンダ)とか、つけようと思えばつけられそう?
洋風の名前を漢字の当て字でつける親も少なくないし、つまり新しい名前をいくらでも作っていい、名前の数は空の星ほども、いわば「無限」にあるってことですね。

一方スペイン語の名前というのは、基本的には「聖者」の名前から取る…と説明してくれたスペイン人がいたけど…聖者って誰かって? 多分ローマ教会が「聖人」と認めた人たちです。
ちなみにカトリックの国では1年365日、今日はサン(又はサンタ)ダレソレの日だというように聖人の名前が割り振られている。日によっては聖人がふたりがいる日もあるので、少なくとも今までに365人以上の人が「聖人」と認定されている。
で、みんな自分の生まれた誕生日の他に、「今日は私の día santo 」という日がある。自分と同じ名前の聖人の日ってことで、そう言われたら「お祝い」を言わなくてはいけない。

でも、その聖人たちが生まれた時はどっから名前を取ったのだろう…?
要は「聖者」の名前から取るというよりは、「名前にできる言葉が決まっている」という感覚なのだと思う。幾らたくさんあっても限られたもの、「有限」の中から選んでつけるものなので「何?」ではなくて「どれ?」になるんだヨ、きっと。

今よりもカトリック色の強かったフランコ時代には、女の子の名前にはとにかくマリアが付いてたそうだ。マリアだけの場合もあれば、マリア・ナントカ、ナントカ・マリア、マリア・デ・ナントカっていう具合に…あ、でも「ナントカ・マリア」は男性の名前…そう、 María José といったら女性の名前だけど、 José María は男性の名前。何故かは知らねども。

それから、日本の名前のように「何かの意味のある単語」を名前にしたものは、何故か男性の名前よりも女性の名前に多い。男性の大半は José, Antonio, Manuel, Javier, Francisco…なーんていう名前なのに対して、女性の名前には例えば Esperanza, Paz, Luz, Dolores, Soledad…なんていうのがある。
「希望」や「平和」や「光」が名前になるのはいいとして、「痛み」や「孤独」が名前になるというのは日本人には分かりにくいが、通常これらの名前には María de los Dolores などというようにマリアが付いている。
だからどういう意味? と聞かれるとちょっと困るけど、マリアさまというのは多分「慈悲」の象徴なので、痛みや孤独といった「不幸なもの」のためにいるマリアさま、っていうようなニュアンスになって、それにあやかった名前の付け方なのじゃないかしらん? と思ったりする。

名前が2つある人も珍しくないが、大抵はスペイン語の教科書にも出てくるような「よくある名前」の人が多い。苗字の方は、それこそ日本の名前のように種々限りなくあるんだけど。

「教科書にはあまり出てこない」ような名前というと、例えば Modesto, Bienvenido, Fuencislas, Sagrario, Angustias (最後の3つは女性の名前です、念のため)…
でも20何年スペインに住んで、キワメツキの珍しい名前は、何と言ってもコレ:

Hermenegildo …って、いや、家に来た大工さんの名前だったんだけど、数回聞き返して、更に名詞を貰ってやっと分かった。知らない単語って中々聞き取れないもんですね。

ちなみに最初のテープ、吹き込んでたのはコスタリカの女性とメキシコ人の男性だったような気がする。女性の方は声も美しく、外国人に対して音節を区切りながらゆっくりと喋ることのできる人だったけど、男性の方は音節を区切ることができないで、単語は早口のままダーッと喋り、単語と単語の間を妙に間延びした感じで喋っていたのを覚えている。ゆっくり喋ろうっていう努力は分かったんだけど…でそれをテキスト見ないで、一生懸命聞き取ろうとしていた。
かなり苦労しましたが、耳の鍛錬にはなったと思う!?

余談ながら、今も本だけは出ている、ホセ・マタ先生の「先生のいらないスペイン語」(?)と「現代スペイン語撰集」には素晴らしいテープが別売りで付いていた。こちらもテープだけを買ってヒタスラ聞いてたので、テキストの題名がオボロゲになってしまいましたが。

ラテン語系の言葉の中で、例えばイタリア語は歌うための言葉、フランス語は愛を語るための言葉…などという言い方があるのですが、確かスペイン語は神の言葉、とかなんとか…
それが実感できるようなハギレのいい、そして格調高いスペイン語だった。「現代…」の方は聞き古したテープが2巻、今も手元にあるが、「先生の…」の方はいつの間にかなくしてしまった。
ああいうテープが手に入らなくなってしまったのは本当に残念。出版社さん、CDに焼き直して出していただけませんか?
(2006年1月)

追記: もしやと思って出版社さんに電話してみたら、なんと、「先生のいらない…」のテープの在庫が残ってた。即、注文しました。「現代…」の方はもう在庫がなく、再版の予定もないとのこと。持ってるテープ、大事にしなくちゃ!(2006年2月)