象は鼻が長い?

「象は鼻が長い」には何故主語が2つあるのか? 「象の鼻は長い」とどう違うのか? amteurlinguist が考える日本語の構文

4. “Voy” o “Me voy”

どっちも「行く」ってこと? でもひとつは普通の動詞で、もうひとつは再帰動詞…

この再帰動詞ってのがクセモノです。日本語にも英語にもない。
不定法にも再帰代名詞の SE が付いていて、それが動詞の活用に応じて ME, TE, SE, NOS, OS, SE と変化する、ヤッカイキワマリナイシロモノ(動詞)であります。

代表的なのは、例えば Levantar(起こす)などの他動詞に再帰代名詞が付いて「自分自身を起こす」つまり「起きる」という自動詞のようになるもの。
でも Voy つまり Ir は、元々「行く」という自動詞なので、「自分を行く」とは言えない…

その昔スペインの語学学校で、この再帰動詞の用法を学んだ時には、全部で6つくらいも用法があった気がするんだけど、当時のノート、というかメモは見つからない。
日本でスペイン語を習った時に使った教科書にも4つくらいは書いてあったような気がするんだけど、なんせ25年以上前ですからね。
最近出ている教科書には、この辺りを余り詳しく説明してあるのが少ないというか、なんとなく避けて通ってるような(?)感じのするテキストもあるし…???

…えーと、スペインの語学学校で習った用法を記憶を頼りに並べてみると、再帰(又は代名)」「受身」「無人称」「相互」…(まだ4つか)…あと言語学的用語は忘れちゃったけど、「強調」みたいなのと、そして最後に「SEが付くのと付かないのでは、動詞の意味が違ってくるもの」ってのがなかったっけ?
で、この最後のヤツに Me voy つまり Irse が相当するのですね。

学校ではそう説明されたけど、何のことやらチンプンカンプン、ちーっとも分からない。日本で習った時は「強調」、つまり「ただ行く」のではなくて「行ってしまう」というように説明された気がするけど、どちらも「行く」のではないか? どこで意味が違って来るのか??

当時同じピソに住んでいたスペイン人の若い女の子に聞いてみた。彼女は自分もドイツ語をやっていて、語学には結構自信があるみたい。「Voy と Me voy では動詞の意味が違って来るっていうのが、どうも良く分かんなくって…」

彼女は、何が分かんないのよ、明らかに違うじゃないよ、というような言い方をした。
???…ということは「行く」と「行ってしまう」、くらいの違いではない…ということじゃないだろうか…???

狭い台所で大柄な彼女が、口角泡をとばすような勢い、というか早口で説明してくれているのを聞いている内に、突然、私はその「違い」が分かった。分かったような気がしたというべきかもしれないけど。
外国語の語感というのはそんな風に、ネイティブの人が色んなケースで色んな使い方をするのを繰り返し聞いている内に、何故か、なんとなく分かってくる。

思えば鎖国の江戸時代に、船が難破、漂流してアメリカに行った漁民なんていうのは、そうやってゼロから英語を覚えたんだろうな…人間の「ことばを覚える」遺伝子のプログラムっていうのはスゴイもんです…

彼女の説明を聞いて分かったのは、Me voy には Me voy de aquí 、つまり「ここから居なくなる」という意味があるということだ。「どこそこへ行く」という時には Voy で、「ここから居なくなる」ので「さようなら」「じゃ又ね」なんていう時には Me voy なのだ。場合によっては「それじゃあそろそろ、おいとまします」などと訳しても良い。
「(どっかへ)行く」のと「(ここから)居なくなる」、或いは「行く」と「出かける」では確かに意味が違うではないか!!

勿論実際には "Me voy de Españ a Japón" というように、「どこそこから」居なくなって「どこそこへ行く」ということを、同時に説明しちゃうような言い方も、極めてヒンパンになされる訳ですが。

ちなみに、日本人が出かける時の「行ってきます」「じゃ行ってくるね」に一番感じが近いスペイン語の表現は、Me voy, hasta luego だと思う。じゃ又ね。